【アナザースカイ】桝太一がロンドンで語る、科学を好きになった理由と研究者の今

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2022年春、16年間勤めた日本テレビを退職し、

40歳で新たに“研究の世界”へと飛び込んだ桝太一さん

11月1日放送の「アナザースカイ」では、

桝太一さんが「科学の街」と語るロンドンを訪れ、

人気アナウンサーから研究者へと歩みを進めたその背景が明かされます。

ホーニマン博物館での過ごし方や、アイリッシュパブで黒ビールを楽しむ姿、

ロンドン五輪中継を担当したスタジアムでの思い出など――。

科学への情熱とともに、研究者としての“今”が語られます。

本記事では、桝太一さんのアナザースカイとしてのロンドン旅を追いながら、

彼が語る「科学を好きになった理由」と「研究者としての現在」に迫ります。

桝太一がアナウンサーから研究者へ──異色の転身とその理由

2022年春、16年間務めた日本テレビを退職し、研究者の道へと進んだ桝太一さん。

そのニュースは多くの視聴者に驚きを与えました。

『ZIP!』や『真相報道 バンキシャ!』など、情報番組の顔として活躍してきた桝さんが、

なぜ安定した人気アナウンサーの道を手放したのでしょうか。

16年間のアナウンサー生活を経て見つけた“科学への情熱”

桝太一さんは東京大学大学院・農学生命科学研究科で海洋生命科学を学んだ理系出身。

もともと「生き物や海の生態を研究したい」という夢を持ちながら、

伝える力を生かせるアナウンサーの世界へ進みました。

番組を通じて多くの科学者や専門家と出会う中で、

「やはり自分も研究の現場に戻りたい」という思いが再び強くなっていったといいます。

特に環境や生物多様性に関するニュースを取材するたびに、

“科学を正しく伝えるには、自らがもっと深く理解する必要がある”と感じたそうです。

報道の現場で積み重ねた経験が、研究者としての情熱を再燃させるきっかけになりました。

大学院には凄い人たちがたくさんいて、自分は研究者としては一流になれない分、アナウンサーとして理系の知識を活かして科学などの話を分かりやすく伝える懸け橋になれるのではないかと考えたそうです!

「伝える」から「探求する」へ――転身を決意したきっかけ

アナウンサーとして視聴者にわかりやすく伝える立場から、

今度は自ら研究を行い、科学を社会へ伝える側に立つ。

その転身は、桝さんにとって“伝えること”の延長線上にあったのかもしれません。

桝さんはインタビューで、研究の現場で感じるワクワクを今度は科学者として発信していきたいという思いを語っています。(参考:MANTANWEB, 2022年1月23日)。

また、科学とメディアの距離を感じ、より深く理解して伝えるために、自分がその現場に立つ必要があると感じたことも明かしています。(参考:Science Portal, 2023年10月19日)。

40歳での再出発には大きな勇気が必要だったはず。

しかし、彼の中では“伝える”という軸は一度も揺らいでいません。

研究とメディア、その両方の視点を持つ桝太一さんだからこそできる、

新しい形の「科学コミュニケーション」が始まっています。

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ロンドンは“科学の街”──桝太一が語る原点の地

桝太一さんが今回の「アナザースカイ」の舞台に選んだのは、イギリス・ロンドン

彼はこの街を「科学の街」と呼び、特別な思いを抱いています。

その理由には、科学を身近に感じられる文化や、人々の知的好奇心にあふれた空気があるといいます。

ホーニマン博物館で語る、科学を楽しむ視点

桝さんが訪れたのは、南東ロンドンのホーニマン博物館。

自然史や人類学、楽器など幅広い展示で知られるこの場所で、

桝さんは子どものように目を輝かせながら標本や展示を楽しんでいました。

「科学は難しいものじゃなく、誰もがワクワクできるものなんです」と語る桝さん。

ホーニマン博物館の多彩な展示や、来館者が自由に触れて学べる空間に、

“科学を好きになった原点”を重ねているようでした。

バタフライガーデンズで再燃する❝生命への興味❞

続いて訪れたのは、色とりどりの蝶が舞うバタフライガーデンズ。

幼少期から昆虫好きだった桝さんにとって、この場所はまさに夢の空間です。

蝶の羽ばたきを見つめながら、「小さな命の中に、無限の仕組みがある」と語る桝さん。

生物の神秘を感じる瞬間に、研究者としてのまなざしと少年のような純粋な好奇心が重なります。

アイリッシュパブで語られた、研究者としてのリアルな思い

ロンドンの街角にあるアイリッシュパブでは、黒ビールを片手にリラックスした表情を見せた桝さん。

研究の合間に立ち寄る科学者も多いというこの街の文化に触れながら、

「研究者って、ひとりで黙々と考えるだけじゃなく、こうやって語り合いながら進むんですよね」と微笑みます。

アナウンサー時代には見せなかった、素の表情と柔らかな語り口。

その姿からは、科学を“職業”ではなく“生き方”として楽しむ桝太一さんの現在が伝わってきます。

れな
れな

ロンドンには、歴史と文化が深く根付いたパブが多くあり、その中でもひときわ賑やかで温かい雰囲気を醸し出しているのが、アイリッシュパブなんだって!フレンドリーなスタッフ、陽気な音楽、美味しいお酒やお料理で桝さんも心からリラックスしてたのだと思われます☺

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ロンドン五輪の思い出と、今の自分とのつながり

桝太一さんにとって、ロンドンは特別な街。

それは2012年、ロンドン五輪の中継を担当した思い出の地でもあります。

当時は日本テレビのアナウンサーとして、興奮と緊張の中、

世界中の選手たちの輝きを伝え続けていた桝さん。

多忙を極める取材の合間にも、ロンドンの街を歩き、

その知的で開放的な空気に強く惹かれたといいます。

そして今、研究者として再びこの地に立ち、

桝さんは当時の自分と“同じ場所”に立つことで、改めて気づいたことがあると語ります。

「10年前は“伝えること”に夢中だったけれど、

今は“知ること”の楽しさを人に伝えたいと思うようになったんです。」

アナウンサー時代に培った「伝える力」と、

研究者として身につけた「探求する力」。

その両方が重なり合い、今の桝太一さんを形づくっています。

ロンドン五輪のスタジアムを見つめながら、

当時の熱気とともに感じた“学びの原点”を思い返す姿には、

年月を経てなお変わらない情熱がにじんでいました。

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桝太一が語る“科学を好きになった理由”と、これからの目標

子どもの頃から生き物が大好きだった桝太一さん。

図鑑を眺めたり、川で虫を観察したりする時間が何よりの楽しみだったといいます。

そんな少年時代の“ワクワクする気持ち”こそが、今につながる原点。

「科学って、特別な人がやるものじゃなくて、
“なぜ?”と思う気持ちの延長にあるものなんですよね。」

その言葉には、アナウンサーとして長年“伝える立場”にいた桝さんだからこその説得力があります。

科学を難しく語るのではなく、生活の中にある“面白さ”や“発見”として届けたい——

それが、桝さんが目指す「科学コミュニケーション」の形です。

現在は大学で研究と教育の両立に取り組みながら、

科学番組の監修や講演活動など、メディアと研究をつなぐ活動も積極的に行っています。

研究者として日々データと向き合いながら、

一方で“社会に伝えることの大切さ”を決して忘れていません。

「科学の面白さを“知る人”が増えれば、
社会も少しずつ変わっていくと思うんです。」

桝太一さんが目指すのは、

研究者と一般の人との間にある壁をなくし、誰もが科学を“自分ごと”として楽しめる世界。

その挑戦は、まさに彼自身が歩んできた道そのもの。

ロンドンで語られた“科学を好きになった理由”は、

これからも多くの人に新しい視点と気づきを与えていくことでしょう。

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まとめ・桝太一が見せた“アナザースカイ”

桝太一さんがロンドンという“科学の街”で見せた旅、

そのひとつひとつが、彼の人生と研究者としての今を映す鏡でした。

アナウンサーとして培った「伝える力」、研究者として磨いた「探求する力」。

それらが出会う場所としてロンドンは、蝶が舞い、水族館が語られ、黒ビールがくつろぎとなる――

そんな多彩なシーンを通じて、桝さんは“科学を好きになった理由”を改めて問い直しました。

番組「アナザースカイ」で描かれたこの旅は、決して単なる観光ではなく、

自分の原点に立ち返る儀式であり、これからの研究者人生への宣言でもあります。

桝太一さんが見せた「アナザースカイ」の姿は、「伝える」だけで終わらず、

「探求する」未来を提示してくれました。

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